「悪性リンパ腫」で手術した愛犬の事
我が家には、現在”ちくわ”という名前のチワワ犬がいます。
大きな体格で、現在5.6kgあります。
名前の由来は、
身体の毛色が、焼きの甘い、ちくわのような焼き目模様が入っているから・・・。^m^
立っている姿をと思ったのですが、寝てまして・・・。
ホラ 薄い茶色い模様で 焼きが甘いちくわでしょ! ^m^

カメラの音で面倒くさそうに、目を開けましたわ… ごめんね

このワンコが我が家の6代目のワンコになります。
22日に6歳になったばかりの男の仔。
とても静かで、おとなしく、いるんだかいないんだか・・・寂しくなることがある。・・・
まだ若いんだから、”もっとチョコマカ動きなはれ!”って言いたいほど、
寝てばかりいる。
う~・・・ん 私が構わないからなのかなぁ・・・
6代目にして、こんな静かで平穏な日々を送る男子わんこは初めての経験デス
このページの右側バーの下の方に
☆天使になった仔達というところがあって、
今まで命を見送ってきた仔達の画像と簡単な紹介文を載せていますが、
下から2枚目の画像に写っている、
シェットランドシープドック(略して、シェルティー)の”ラリー”のことを思いだしてしまったので、
少し書かせてください。・・・
ちょっと重たい内容になるかと思いますが・・・
紹介文に載せたたものは、こちら↓
ラリー ♂ シェルティー
1989.7.8生まれ、2005.6.7亡
5歳で癌の手術後、100%転移、
余命2ヶ月と言われるも15歳11ヶ月で亡
この仔は、5歳で悪性リンパ腫の、手術をしました。
手術をしても転移の確率は100%。
余命2ヶ月。
という厳しい病理検査結果をいただきました。・・・
24年前の診断結果です。
約2ヶ月ほど、便に5㎝前後に切り取った真っ赤な絹糸を置いたかのような鮮血を確認して、
気になっていました。・・・
便をするたびに一筋の鮮血がとても気になりました。・・・
それ以上大量に出血することは少なく、
多少多く出血したこともありましたが、長く続くので、病院で診て頂いたのですが、
異変がなく経過を見るように言われていました。
食欲が落ちることもなく、体調が悪いと思い当たることもなく、月日がたっていきましたが、
依然と出血が続き、再度病院へ連れて行ったところ、
直腸に何か腫瘍があるのではということになり、
肛門から指を入れると、ぎりぎり院長先生の指で触診できたのです。
それから直ぐ手術になり、肛門から約6cm前後のところにある直腸壁を500玉程切採られ、
病理検査に出されて出た結果が、
悪性リンパ腫 転移100%あり 余命2ヶ月 というものでした。
術後には、腸がねじれてお腹に収まってしまっていたようで、腸閉塞を起こし相当苦しみましたが、
奇跡的にねじれが自然に元に戻りその後は、患部が500円玉ほど切ったため、
腸が細くなり、子犬のころよりも細い便しか出ませんでした。。。。
(便は後に、通常の太さに戻りました。)
しかし、転移が心配されたため、術後すぐ抗がん剤治療を勧められ、
注射でしたが、当時一本¥10,000で、3週間程続けました。・・・
もう四半世紀前のことで、記憶が薄れていますが、
毎日だったのか、一日おきだったのか、記憶があいまいですが、
手術と抗がん剤その他で、
合わせて38万円を支払った記憶だけは鮮明に残っているので、毎日だったのかもね。。。
主人の夏のボーナス時期で、相当な出費だったことを思い出します。
抗がん剤を受けて間もなくから、当然副作用がありました。
その抗がん剤の副作用は、大量に水分を欲しがり、大量の尿が出るというもので、
一度に、コップ2杯ほど飲んだのではなかろうか・・・。
それも頻繁に何度も何度も・・・・。
体重は、10kg前後の中型犬です。
そして当然のように大量に尿が出る。・・・
この仔は他の仔と全く違い、
排泄は外でないとダメとしつけをした覚えがないのですが、
自然と外でなければおしっこや便をしてくれず、
雨の日も吹雪の日でも、日に3度から4度の散歩を欠かせなくて、
その散歩時に用を済ませる仔だったので、
ちょっと油断をすると、間に合わなくて、
部屋の中で大量の尿をされることになりました。・・・
絶対間違っても、そんな恥ずかしい粗相をするはずもない性格の仔でしたので、
ビックリしました。
慌ててバケツを持って尿を受けるということを何度もしました。
”ジャァ----ッ”(おしっこをする音)という、音に気が付いて、
バケツを取りに行って尿を受けてもまだ間に合うほど長く大量でした・・・。
そんな事を何度もさせるわけにはいかないので、
1時間おきに、外へ連れ出すという忙しいことになっていました。
それは、日中だけでなく、深夜も早朝も一日中でした。。。
寝る暇がありませんでした・・・
3週間以上もそんな生活をしていた私は、もう限界に近い状態でした・・・。
ラリーは、抗がん剤を始めてから間もなく、
呼吸の仕方が異常に激しく、いつでも辛そうでした。
100m競争をして、息が上がっているかのような早い呼吸をするようになっていました。
それは、寝ている時も、目覚めている時も同じでした。
目に見える副作用は、もう一つありました。
この仔は、アレルギーがあり、
異常なくらい食欲がなく、子犬のころからドッグフードの好き嫌いが酷く、
食べさせることに大変苦労しました。
そんな仔なのに、抗がん剤を受けるようになってから、
驚くほど何でもよく食べるようになっていて、
性格は落ち着かず うるさくなっていました。
おとなしい仔だったので・・・。
目立って異常だと思った副作用はこの4点でしょうか・・・。
普段とは違う性格になってしまい、
夜寝る時に、私のそばで寝ているので、
異常なほどの激しく早い呼吸を毎日感じていました。。。
『苦しいのよね…』
このままいつまで抗がん剤を続けていかなくてはならないの?
こんなつらい呼吸をしているのに、抗がん剤を続けていいの?
こんな性格の仔じゃなかったよね・・・
と考えた時、先生に相談したら、「抗がん剤を止めると命の保証はできません。」
とはっきり宣告されました。・・・
別に術後に転移を認めたわけではなかったのですが、
そういわれて、私は悩んでいました。・・・
術後1か月を過ぎたあたりに、決心したのです。
もう抗がん剤を止めようと・・・。
もし、止めて、あっという間に死が訪れても、今のような苦しい思いをさせながら、
延命処置をするより、抗がん剤を止めたことで、今より楽な日々が少しでも
訪れて安らかな死を迎えてくれるなら、それを選ぼうと思ったのです。
そうなるかどうかは全く分かりませんけど、
辛い日々を長く過ごさせたくなかったのです。
短い命になるかもしれないけど、少しでも苦しまないような日々が来てくれることを願って、
院長先生の言葉を無視することにしました。
もう院長には会えないと思いました。
飲み薬も中断しました。
注射も薬も止めたのです。 きっぱりと!
そう決断した私の心の中には、子犬の時期から5歳まで愛情を傾けて育ててきた愛犬の死が、
目の前に見えていると思っていましたので、
毎日毎日を大切に暮らしていたあの頃の記憶が今も蘇ります。
いつ来るかもしれない”永遠の別れの時”に後悔しないで、見送ろうとそう決心していました。・・・
1週間、・・・ 2週間、・・・
1ヶ月・・・ 2ヶ月・・・
ラリーの命は、簡単に消えなかったのです。
それでも、いつ死が訪れるかもしれないという恐怖心は持ちながら暮らしていました。
半年が過ぎたころから、少しずつ少しずつ体調が安定していくのが分かりました。
抗がん剤の副作用は、呼吸が極端に荒いこと以外は、
消えていました。
犬の抗がん剤の副作用も、結構長く続いていました。
結局この仔の病名は間違っていなかったのだろうか・・・
きちんとした医療機関で検査したので、間違いはなかったのだろうと思うのですが、
しかし、確実に行ってしまった治療は、
毒性のある抗がん剤治療を受けさせたのは、事実であり、
その副作用で苦しませたことも事実です。
一番長く副作用が消えなかったのは、呼吸の仕方で、
約2年間以上も激しい呼吸が治りませんでしたが、
その後は徐々に普通に戻っていきました。・・・
”抗がん剤を止めたから、生きていられたんだよね”
って思うのです。
本当に悪性リンパ腫だったのだろうか?・・・
奇跡的に、完治できたということなのだろうか・・・
あの時医師の勧め通り抗がん剤を続けていたら、
15年以上も長く命があっただろうかといつも考えてしまいます。
15歳と11ヶ月という長い間生きてくれたラリーの死因は、多臓器不全。
早く言うと、老衰です。
癌ではなく、年老いて枯れるように逝ってしまったのです。
この仔の手術した月が、5月で、
抗がん剤を止めたのが、6月だったと記憶しています。
なくなったのも6月ですし、いつもこの時期になると、思い出すのです。
今年のこの仔の命日が近くにせまり、考えるのは、
今度は私が癌になり、抗がん剤を止めたものですから、
”同じ境遇になったわね。”
って思いました。
私も、貴方と同じく、 ”抗がん剤を止めて正解だったね”
と思える日が来ればいいな。
と。。。。。。
今年の6月で、亡くなってから13年になります。
そのころ、私は市内に、プリザーブドフラワーの実店舗を持っており、
花材料の販売の他、教室で指導の傍ら、
カルチャーセンターの講師を週2回行っており、毎日忙しい日々を送っておりました。
毎週水曜日が定休日でしたので、
もうそうは持たないなと。。。と感じて、
意識ははっきりあったので、亡くなる4.5日前に、
「ラリー、辛いだろうけど水曜日まで待ってね」
と耳元でささやいたのです。
・・・・・
・・・・・・・
嘘みたいな話ですが、
死ぬ7時間前には外で自力で立ってトイレが出来ていたのに、
水曜日、私が仕事が休みの日、午前4時ころ、亡くなったのです。・・・
私が水曜日まで待ってねとお願いしたことが、叶ってしまった・・・。
何日も前から照明は付けたまま寝ていたのですが、
お願いしたとはいえ、まさか本当に水曜日にそうなるとは思わず、
『まだ、今日じゃないよね・・・』
と思って、疲かれていたため油断して寝てしまって。。。
1時間近く経っていたんです。。。
気が付いた時には、まだ身体が暖かかったので、逝って間もなかったと思います。
その時には、他に同じ部屋に3頭も居たのに、だれも気が付かずに、
一人で逝かせてしまいましたわ・・・
それだけが心残りでした。・・・
前日まで外へ連れ出したら、自力でトイレを済ませる几帳面な仔でした。
おむつを使わなかったのは、ラリーだけです。
抗がん剤を止めて良かったって、何度も何度も思いました。
犬も、人間も、身体を壊してまで抗がん剤治療をすべきじゃないでしょ!
同じ生き物なんですもの・・・。
5頭も見送っているので、それぞれ色々あります・・・。
安楽死をさせてしまった仔もいますし・・・。
辛かったなぁ。。。あれは・・・
長くなりましたが、思い出してやることが死者への供養になるというので・・・。
よい供養になったかと思います。
暗い投稿文でごめんなさい・・・。
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名前の由来は、
身体の毛色が、焼きの甘い、ちくわのような焼き目模様が入っているから・・・。^m^
立っている姿をと思ったのですが、寝てまして・・・。
ホラ 薄い茶色い模様で 焼きが甘いちくわでしょ! ^m^

カメラの音で面倒くさそうに、目を開けましたわ… ごめんね

このワンコが我が家の6代目のワンコになります。
22日に6歳になったばかりの男の仔。
とても静かで、おとなしく、いるんだかいないんだか・・・寂しくなることがある。・・・
まだ若いんだから、”もっとチョコマカ動きなはれ!”って言いたいほど、
寝てばかりいる。
う~・・・ん 私が構わないからなのかなぁ・・・
6代目にして、こんな静かで平穏な日々を送る男子わんこは初めての経験デス
このページの右側バーの下の方に
☆天使になった仔達というところがあって、
今まで命を見送ってきた仔達の画像と簡単な紹介文を載せていますが、
下から2枚目の画像に写っている、
シェットランドシープドック(略して、シェルティー)の”ラリー”のことを思いだしてしまったので、
少し書かせてください。・・・
ちょっと重たい内容になるかと思いますが・・・
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ラリー ♂ シェルティー
1989.7.8生まれ、2005.6.7亡
5歳で癌の手術後、100%転移、
余命2ヶ月と言われるも15歳11ヶ月で亡
この仔は、5歳で悪性リンパ腫の、手術をしました。
手術をしても転移の確率は100%。
余命2ヶ月。
という厳しい病理検査結果をいただきました。・・・
24年前の診断結果です。
約2ヶ月ほど、便に5㎝前後に切り取った真っ赤な絹糸を置いたかのような鮮血を確認して、
気になっていました。・・・
便をするたびに一筋の鮮血がとても気になりました。・・・
それ以上大量に出血することは少なく、
多少多く出血したこともありましたが、長く続くので、病院で診て頂いたのですが、
異変がなく経過を見るように言われていました。
食欲が落ちることもなく、体調が悪いと思い当たることもなく、月日がたっていきましたが、
依然と出血が続き、再度病院へ連れて行ったところ、
直腸に何か腫瘍があるのではということになり、
肛門から指を入れると、ぎりぎり院長先生の指で触診できたのです。
それから直ぐ手術になり、肛門から約6cm前後のところにある直腸壁を500玉程切採られ、
病理検査に出されて出た結果が、
悪性リンパ腫 転移100%あり 余命2ヶ月 というものでした。
術後には、腸がねじれてお腹に収まってしまっていたようで、腸閉塞を起こし相当苦しみましたが、
奇跡的にねじれが自然に元に戻りその後は、患部が500円玉ほど切ったため、
腸が細くなり、子犬のころよりも細い便しか出ませんでした。。。。
(便は後に、通常の太さに戻りました。)
しかし、転移が心配されたため、術後すぐ抗がん剤治療を勧められ、
注射でしたが、当時一本¥10,000で、3週間程続けました。・・・
もう四半世紀前のことで、記憶が薄れていますが、
毎日だったのか、一日おきだったのか、記憶があいまいですが、
手術と抗がん剤その他で、
合わせて38万円を支払った記憶だけは鮮明に残っているので、毎日だったのかもね。。。
主人の夏のボーナス時期で、相当な出費だったことを思い出します。
抗がん剤を受けて間もなくから、当然副作用がありました。
その抗がん剤の副作用は、大量に水分を欲しがり、大量の尿が出るというもので、
一度に、コップ2杯ほど飲んだのではなかろうか・・・。
それも頻繁に何度も何度も・・・・。
体重は、10kg前後の中型犬です。
そして当然のように大量に尿が出る。・・・
この仔は他の仔と全く違い、
排泄は外でないとダメとしつけをした覚えがないのですが、
自然と外でなければおしっこや便をしてくれず、
雨の日も吹雪の日でも、日に3度から4度の散歩を欠かせなくて、
その散歩時に用を済ませる仔だったので、
ちょっと油断をすると、間に合わなくて、
部屋の中で大量の尿をされることになりました。・・・
絶対間違っても、そんな恥ずかしい粗相をするはずもない性格の仔でしたので、
ビックリしました。
慌ててバケツを持って尿を受けるということを何度もしました。
”ジャァ----ッ”(おしっこをする音)という、音に気が付いて、
バケツを取りに行って尿を受けてもまだ間に合うほど長く大量でした・・・。
そんな事を何度もさせるわけにはいかないので、
1時間おきに、外へ連れ出すという忙しいことになっていました。
それは、日中だけでなく、深夜も早朝も一日中でした。。。
寝る暇がありませんでした・・・
3週間以上もそんな生活をしていた私は、もう限界に近い状態でした・・・。
ラリーは、抗がん剤を始めてから間もなく、
呼吸の仕方が異常に激しく、いつでも辛そうでした。
100m競争をして、息が上がっているかのような早い呼吸をするようになっていました。
それは、寝ている時も、目覚めている時も同じでした。
目に見える副作用は、もう一つありました。
この仔は、アレルギーがあり、
異常なくらい食欲がなく、子犬のころからドッグフードの好き嫌いが酷く、
食べさせることに大変苦労しました。
そんな仔なのに、抗がん剤を受けるようになってから、
驚くほど何でもよく食べるようになっていて、
性格は落ち着かず うるさくなっていました。
おとなしい仔だったので・・・。
目立って異常だと思った副作用はこの4点でしょうか・・・。
普段とは違う性格になってしまい、
夜寝る時に、私のそばで寝ているので、
異常なほどの激しく早い呼吸を毎日感じていました。。。
『苦しいのよね…』
このままいつまで抗がん剤を続けていかなくてはならないの?
こんなつらい呼吸をしているのに、抗がん剤を続けていいの?
こんな性格の仔じゃなかったよね・・・
と考えた時、先生に相談したら、「抗がん剤を止めると命の保証はできません。」
とはっきり宣告されました。・・・
別に術後に転移を認めたわけではなかったのですが、
そういわれて、私は悩んでいました。・・・
術後1か月を過ぎたあたりに、決心したのです。
もう抗がん剤を止めようと・・・。
もし、止めて、あっという間に死が訪れても、今のような苦しい思いをさせながら、
延命処置をするより、抗がん剤を止めたことで、今より楽な日々が少しでも
訪れて安らかな死を迎えてくれるなら、それを選ぼうと思ったのです。
そうなるかどうかは全く分かりませんけど、
辛い日々を長く過ごさせたくなかったのです。
短い命になるかもしれないけど、少しでも苦しまないような日々が来てくれることを願って、
院長先生の言葉を無視することにしました。
もう院長には会えないと思いました。
飲み薬も中断しました。
注射も薬も止めたのです。 きっぱりと!
そう決断した私の心の中には、子犬の時期から5歳まで愛情を傾けて育ててきた愛犬の死が、
目の前に見えていると思っていましたので、
毎日毎日を大切に暮らしていたあの頃の記憶が今も蘇ります。
いつ来るかもしれない”永遠の別れの時”に後悔しないで、見送ろうとそう決心していました。・・・
1週間、・・・ 2週間、・・・
1ヶ月・・・ 2ヶ月・・・
ラリーの命は、簡単に消えなかったのです。
それでも、いつ死が訪れるかもしれないという恐怖心は持ちながら暮らしていました。
半年が過ぎたころから、少しずつ少しずつ体調が安定していくのが分かりました。
抗がん剤の副作用は、呼吸が極端に荒いこと以外は、
消えていました。
犬の抗がん剤の副作用も、結構長く続いていました。
結局この仔の病名は間違っていなかったのだろうか・・・
きちんとした医療機関で検査したので、間違いはなかったのだろうと思うのですが、
しかし、確実に行ってしまった治療は、
毒性のある抗がん剤治療を受けさせたのは、事実であり、
その副作用で苦しませたことも事実です。
一番長く副作用が消えなかったのは、呼吸の仕方で、
約2年間以上も激しい呼吸が治りませんでしたが、
その後は徐々に普通に戻っていきました。・・・
”抗がん剤を止めたから、生きていられたんだよね”
って思うのです。
本当に悪性リンパ腫だったのだろうか?・・・
奇跡的に、完治できたということなのだろうか・・・
あの時医師の勧め通り抗がん剤を続けていたら、
15年以上も長く命があっただろうかといつも考えてしまいます。
15歳と11ヶ月という長い間生きてくれたラリーの死因は、多臓器不全。
早く言うと、老衰です。
癌ではなく、年老いて枯れるように逝ってしまったのです。
この仔の手術した月が、5月で、
抗がん剤を止めたのが、6月だったと記憶しています。
なくなったのも6月ですし、いつもこの時期になると、思い出すのです。
今年のこの仔の命日が近くにせまり、考えるのは、
今度は私が癌になり、抗がん剤を止めたものですから、
”同じ境遇になったわね。”
って思いました。
私も、貴方と同じく、 ”抗がん剤を止めて正解だったね”
と思える日が来ればいいな。
と。。。。。。
今年の6月で、亡くなってから13年になります。
そのころ、私は市内に、プリザーブドフラワーの実店舗を持っており、
花材料の販売の他、教室で指導の傍ら、
カルチャーセンターの講師を週2回行っており、毎日忙しい日々を送っておりました。
毎週水曜日が定休日でしたので、
もうそうは持たないなと。。。と感じて、
意識ははっきりあったので、亡くなる4.5日前に、
「ラリー、辛いだろうけど水曜日まで待ってね」
と耳元でささやいたのです。
・・・・・
・・・・・・・
嘘みたいな話ですが、
死ぬ7時間前には外で自力で立ってトイレが出来ていたのに、
水曜日、私が仕事が休みの日、午前4時ころ、亡くなったのです。・・・
私が水曜日まで待ってねとお願いしたことが、叶ってしまった・・・。
何日も前から照明は付けたまま寝ていたのですが、
お願いしたとはいえ、まさか本当に水曜日にそうなるとは思わず、
『まだ、今日じゃないよね・・・』
と思って、疲かれていたため油断して寝てしまって。。。
1時間近く経っていたんです。。。
気が付いた時には、まだ身体が暖かかったので、逝って間もなかったと思います。
その時には、他に同じ部屋に3頭も居たのに、だれも気が付かずに、
一人で逝かせてしまいましたわ・・・
それだけが心残りでした。・・・
前日まで外へ連れ出したら、自力でトイレを済ませる几帳面な仔でした。
おむつを使わなかったのは、ラリーだけです。
抗がん剤を止めて良かったって、何度も何度も思いました。
犬も、人間も、身体を壊してまで抗がん剤治療をすべきじゃないでしょ!
同じ生き物なんですもの・・・。
5頭も見送っているので、それぞれ色々あります・・・。
安楽死をさせてしまった仔もいますし・・・。
辛かったなぁ。。。あれは・・・
長くなりましたが、思い出してやることが死者への供養になるというので・・・。
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